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誠心院

 
 京都(きょうと)()中心部(ちゅうしんぶ)三条(さんじょう)(どお)りの(しん)京極(きょうごく)(みなみ)(ある)いて()くと東側(ひがしがわ)(せい)(しん)(いん)があります。
 このお(てら)には、紫式部(むらさきしきぶ)らとともに宮廷(きゅうてい)サロンを(ひら)いていた和泉式部(いずみしきぶ)のお(はか)があります。
 和泉式部、紫式部、清少納言(せいしょうなごん)小倉(おぐら)百人一首(ひゃくにんいっしゅ)の中の平安(へいあん)時代(じだい)(じょ)(りゅう)()(じん)です。小倉(おぐら)百人一首は、百人一首と()ばれている室内(しつない)ゲームで、カルタです。
 中(なか)でも和泉式部は(こい)(おお)き、(じょう)(ねつ)(てき)(じょ)(せい)として有名(ゆうめい)です。
 和泉式部は(たちばな)(みち)(さだ)(つま)でしたが、冷泉(れいぜい)天皇(てんのう)第三(だいさん)皇子(おうじ)熱愛(ねつあい)されて、第三皇子の死後(しご)はその(おとうと)皇子に求愛(きゅうあい)されて(おとこ)()()みます。
 弟皇子の死後、宮廷で(はたら)(はじ)め紫式部らとともにサロンをひらきます。
 40(さい)()ぎた(ころ)再婚(さいこん)して赴任(ふにん)()丹後(たんご)(うつ)ります。
 和泉式部晩年(ばんねん)(くわ)しい(こと)()かっていません。
 和泉式部の墓があるのはここだけではありません。
 
 
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kokoka日本語チューターブログチーム